[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
誰も知らない外国の
誰も知らない野の原で
ただじっと
ただじっと
視線さえをも動かずに
立ち尽くす昼を夢にみる
冷たい雨が降っていて
灰にぼやける緑のふちで
びしょ濡れになり
身体の芯が震えても
誰にも叱られることのない
美しい野の原を夢にみる
幸せは
ただありのままに
電信柱もビル影も
人の作った何もかも
視界に映らぬ野の原で
ただしんしんと降る雨に
震えて震えて
打たれていたら
人の世界に仰ぎ見る
青い薔薇を探してしまう
この心を殺せるでしょうか
差し伸べらるる優しさを
子供のように望み続ける
なんにもしない我が儘の
この手は壊死してくれるでしょうか
だぁれもいない野の原で
冷たい冷たい雨に降られて
ひとしきり泣いた後ならば
誰かにすがることもなく
もう夢を見ることもなく
静かな静かな平穏に
一人で生きてゆくことが
出来るようにはなるまいかと
誰の愛をも望まずに
ただそっと
人を愛せるような
強い人になれまいかと
夢を見ることに疲れたら
馬鹿な夢の見に酔って酔って
味の無い涙で泣いて泣いて
さよならさよなら喚いて倒れて
目が覚めたなら
もう一度
昨日凹んでたら寝るタイミングを逃して寝るのが3時になりました。
だが今日9時半に起床すれば間に合う私に死角はなかった
中原中也さんの詩集と、獣の奏者完結巻を持ってきたので、バイトの予習しつつ、読むつもり。
小説は書けないかもなと思ってパソコン置いてきちゃったけどやっぱり持ってくれば良かったお(´・ω・`)
落ち着いて考えられるようになるまで、かさぶたは触らないようにしとこう…。
こないだの支離滅裂な呟きに、所々から反応がありました。
色んな見方があって視点があって、
ひとつひとつに対して何かを言える訳じゃないけど、少しまた呟き。
あ、今は、うーん…。
大体復活してるんですが、ふとまたそのことについて考えだすと凹んでる感じです。
忘れてしまえればいいんだろうけど、
かさぶたが出来る度に剥がしてる感じですね。うーん。
そのDVDを見る前々回くらいの授業にて、
「歴史は傷つけるものだから人は物語を求めるんだ」という言葉を知りました。
誰だったかな…誰かの言葉だったんだけど…。
現実や真実だけではあまりにも辛いから、
人は時に虚構で心を救って生きてきたんだって。
現実と虚構、歴史と物語、どちらもどちらかがないと成り立たないんだって。
…確かそんな感じ。だったような。
辛いことを人に話すと楽になるように、
トラウマとなってしまうような記憶を、物語のように言葉にして自分の中で整理することで、
人はその記憶を乗り越えられるんだって。
だからあまりにも辛い、乗り越えられないことは、言葉に出来ないんだ、って。
…なんかもうちょっと体系だててやったんですが、
うまく表現しきれてないのでちと分かりにくいかもしれません。
まあなんとなくそんな授業で。
歴史だけでは伝えきれないものを物語は伝えることが出来る、
けどそれは想像で、もしかしたら嘘っぱちかもしれなくて、
でも歴史化されないようなもの(取るに足らないことや、酷すぎて歴史に残されなかったもの)を認識するには物語がなくてはいけなくて…。
…ってところからはじまって、
それを伝えるはずの物語の意味が修辞によって逃走してしまう現実とか、
「倫理化」とか「審美化(綺麗事化)」についてもこの先の授業でやるそうです。
現在進行形で凹んでいます。消化が全然進みません。胃もたれです。
…いや、ちょっと違うか。凹んでるっていうか、ぐるぐるしてます。
自分の中の「物語」っていうものがよくわからなく、なって、
……でも、それでも、私は、
やっぱり、
暖かくて幸せに終わる物語が読みたい。
人の中にある優しいものを少しでもいいから思い出させてくれるものが読みたい。
嘘っぱちでいい。
偽善かもしれなくてもいい。
辛いこともあるけど、この世界にもいいところはあるよって伝えてくれるものが読みたい。
夢でいいから、いいところもあるじゃないかって、思っていたい
探すことをやめたくない
悲しいだけの物語も幸せなだけの物語も読みたくない
…甘えてるのかもしれないけど
それを文学に求めていることが
間違っているのかもしれないけれど、
なんかもう、何が正しくて何が間違っているのかさっぱりだ
自分がそうありたいと思っても、
それはただの甘えや都合のいい逃げなんじゃないかと思ってしまう
そんなことないと叫ぶ自分と、首を振る自分が喧嘩してる感じです
もうちょっと色々考えなきゃな
ハイファンタジー…みたいのが書けたら…いいんだけどな…。
獣の奏者とか、風の名前とか、ナウシカ、はてしない物語…とか…
みんな、甘いだけじゃないもんね……。
子供と大人を両方連れて成長することは出来ないのかな
大人も子供も読めるものが一番いい文学だといった
エンデさんの言葉を疑いたくない
これからはもうちょっと純文学も読もう。
でもやっぱり、児童文学やファンタジーも、きっと読もう。
…宮沢賢治さんや立原道造さんの詩集を読んでから、寝ようかな。
支離滅裂なので言ってることが矛盾してるかもしれません。
ぐるぐるしながら書いてるので、適当に聞き流してもらえると、嬉しいです。
なんかもう本当に、自分で何考えてるんだかよくわかんないので…。
……高校時代だったら、いろいろ他の人の考えも、聞けたのかなあ…(・ω・`)
こういうことを真面目に語れる文学部の友人がまだ大学にいません。というか私が切り出せない。
…なんかこれ、前にも言ったなあ。
高校の時、塾で、世界史の先生が、
歴史を学んでいて辛いのは、人間のあまりにも酷い一面に突き当たらないといけないこと、
…みたいなことを仰ってた意味が、少し分かった気がする。
文学と歴史の授業で、
表象限界というものを習いました。
あまりにも恐ろしいことは人は語れないんだと。
それに挑んだ映画を見ました。
黒人奴隷船の、ミドルパッセージ、
アメリカのホロコースト。
捕らえられてから船でアフリカから南米まで連れていかれる間の描写が、あまりに酷くて、
…………。
そのあとも色々。
大恐慌時代に、不満の捌け口に行われていたリンチの写真とか。
そのあとの亡骸とか。
語りは万能じゃなくて
言葉は本当に何でも捏造出来得るもので
時には沈黙の方が
語られていないことの方が真実を
語ることとか…。
価値観をぶちのめされました。
今日の授業で見たものを文章や言葉で描ける気がしない。
たかが知れた人間一人の想像力なんて現実には絶対に及びやしないのに
たかだか19年の人生の中で見聞き経験したことだけで(しかもこの甘い日本社会で)
想像の力と創造の力を過信していた。
…人間って、人間って、本当になんなんだろうな
もう簡単に悲劇だの絶望だのって語れないよ。
こんなことで凹んでること自体が馬鹿みたいだよ。
……しばらく消化に時間がかかりそうだ…。
*
追記。
今、家に着きました。
ただいまです。
まだちょっと凹んでますが、なんとか半分くらいまで、復活。