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I want to... Dream as if I'll live forever. Live as if I'll die today.
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月夜の下でハーモニカ
吹き鳴らしては道化が踊る
軽やかな足取りを鈴が彩り
しゃらりと歌声、くるりと回り

「やあこんばんは、利口な人形」


彼は今日も、そう笑うのだ

背負う満面の星空を
そのまま顔に散りばめたような
透明な笑顔で微笑みながら


「君はまだ、隠しているんだね」


動かない、話さない
無機質な人形に一礼を
物憂げな目を細めては


「後ろ出に隠した旅の終わり」

「いくら君がそれを、梅雨の風のような笑顔の中に隠しても」

「いずれはみな、抱きとめる」

「あの美しい紫の星を」


秩序を保つ為に構成された社会という呼び名の概念は
一定の鼓動を保つが為に
世界を、終わりを、始まりを
そろりそろり、恐ろしげにぼやかして
冬の曇り硝子の彼方に
曖昧な恐怖を織り上げて、積み上げて
大丈夫、まだ来はしないと、優しげな目で、笑うのだ
だから、恐れずとも、よいのだと。


「幾ら擬似の不死を織り上げようと」

「僕らの旅はいずれは終わる」

「それは七十余年の時の先か、それとも明日か」

「分かりやしないのに、君はただ」

「利口な笑顔で、まだ先と、囁き続けるのだろうね」


そして、忘れさせてしまうのだ。

何故、生まれてきたのかを。
何故、生きていきたいのかを。
何故、自分が生きているのかを。

何故、
紫の星を恐れるのかを。


「だから僕は、君の代わりに問い続けるんだ」



ハーモニカを鳴らした風が、ゆぅらりと通り過ぎ。
無言で佇む人形を一度抱きしめ、
へらりと微笑んだ道化師は、爪先で静かに大地を蹴った。

しゃらり、と。
澄んだ鈴の音に道化師は問う。






君は、今
たとえ紫の星が訪れても、後悔しないほどに。




「君は今、本当に、生きているのか。」







―――――――――――――――――――――――

久しぶりに本棚から、藤原信也さんの「メメント・モリ」を取り出して。
パラパラと読んで、ふわふわと浮かんだものを、
詩のリハビリ代わりに並べてみたり。

あ、最近詩はごぶさただったんですが、
受験中(秋くらい?)も一応ちまちま書いてました。
そのうちちゃんと清書してアップしたいなあ。





哲学的な話って、人に振るタイミングがよう分からんので、
気まぐれにちょっとこっちに、書いてみたり。
そういうの興味ないよーって人はスルー推奨(´ω`*)
追記からてるてる語っております。



…死ぬのが怖くないよって、
正確には、自分が死ぬのはあまり怖くないよって言えてしまうのは、
私がまだちゃんと、死と生について、受け止めきれていないからか。
それとも、
私の中のしんとした部分が、それなりに旅の終わりを忘れまいとしているからか。
いざ、紫の星が私の目の前に迫った時、
私が冷静でいられるのかは、実際経験がないから、わからない。
多分、きっと無理。
でも、なんとなく、死は、怖いものじゃないと、ぼんやりと、思うわけで。

私の知っている人の、もしもの死を思い浮かべると、
背筋に寒気が走るほど、それは恐ろしく思えるけれど。
自分の、終わりを思うと。
そりゃあやっぱり怖いけど、
でも、目を逸らしてはいけないものだとも、思う。


大抵、こういうことを呟くと、
呆れたような目で、見られます。
でも、でも。
人は、必ず、死ぬでしょう。
天国か、地獄かとか、そういう宗教的な問題はよく分からない。
死んだ後の世界があるのかないのかも、分からない。
でも、死ぬ。
それはいわゆる、
私にとっては遥か彼方に感じる、老後と呼ばれる時になってからか、
それとも、もしかしたら、明日なのか。
分からない。
可能性の問題としては、
私は、私たちは、明日、生きていないのかもしれない。
生まれてきた以上、命の旅は必ず終わる。

いずれ訪れるその時に、後悔を残さないような生き方をすることが、
一番大切なことなんじゃ、ないかな。と。
ぼんやり、思うのです。

どうせなら、良い思い出悪い思い出ひっくるめて、
愛した人、愛してくれた人を思い出しながら、
最高の人生だったと、笑って死ねるような。
そんな生き方を、歩みたい。
死から目を逸らしたら、それは目的地から目を逸らすことじゃ、ないの、かな。
小説も、旅も。
終わりがあるからこそ、きりりと引き締まるものじゃ、ないのかな。


まあようは、後悔なく生きたいな、って、そんな憧れの話。
今は、まだまだ。
大切に出来ていない大切な人や、
誤魔化して埋めた自分の思いや選択や、そんなものが降り積もって。
これじゃあまだ、死ねないね。
もし今死神がやってきたら、後悔すること請け合い。
でもまあ、確率的には、絶対に来ない保障は無い訳で。
そこを、忘れたくないよなぁ、っていう。


こんな混沌の時代だからこそ、
ちゃんと生きて、いきたいよ。

あー、今、私。
ちゃんと本気で、生きて、ないなあ。






「死は生の水準器のようなもの。
 死は生のアリバイである。」

「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。
 なぜなら、死は病ではないのですから。」

「ひとがつくったものには、ひとがこもる。
 だから、ものはひとの心を伝えます。
 ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。」

「あの人がさかさまなのか、私がさかさまなのか。」

「つかみどころのない懈慢な日々を送っている正常なひとよりも、
 それなりの効力意識に目覚めている痴呆者のほうが、
 この世の生命存在としてはずっと美しい。」

MEMENTO-MORI
藤原信也さんの著作「メメント・モリ」より引用
 
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