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I want to... Dream as if I'll live forever. Live as if I'll die today.
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帰国してぼちぼち三か月。
…まだ三か月か。もうずっと前から日本にいたような気がします。

今朝、旅の夢を見たのをきっかけに、
久しぶりに旅の詩を書いてみようかと思ったのですが、
パソコンを抱えて出かけてなどみたのですが(ちなみにパソコンは充電切れでした)、
ほとんど、なにも、書けませんでした。
というか、もうぼちぼち三か月、詩らしい詩を書いていませんね。

もともと、日常の言葉で言い表せないもやもやに形を与える為に
詩を書いていた節があるので、書くものがない、のは、良いことなのかもしれませんが。
少しだけ寂しくなりますよね、やっぱり。
このまま風化していってしまうのだとしたら、それはやっぱり、寂しいなぁ。

…と思って、今、ブログを書きに来ているのですが。
ここのブログを書く時、その時々で気分はさまざまですけれども、
今の気分は、おやすみまえの子供の隣で、無言でじっと見上げてくるその子を見て、
ぽつぽつぽつぽつと長い物語りをしているような、そんな気分です。
多分、誰かにそんなふうに聴いてもらいたいのだと思います。
会話、とはまた違う、なんだろう。昨日モモを読んだせいかなぁ。

モモは。良き話し相手、と言うわけではなく、
個々人の、物語の、最高の聞き手なんだろうなと思います。
私も彼女の隣に行って、腰かけて、
決して急かしたり時間を気にしたり気を悪くしたりしない気がする彼女のそばで、
とうとうと、ぐだぐだな物語を、話させてもらえたら、聴いてもらえたら、いいのになー。
なー。


ぽつりと投稿ボタンを押して、私も眠ります。
その前にTwitterでちらちらと独り言を言うかもしれませんが。
このブログは、私にとっては本当にひとりごとの場所ですね。
見えない誰かが、布団の中から、見上げてくれるんじゃないかなぁと、
そんな心持ちを時々微かに感じながら並べる、独り言の群れ。
 
おやすみなさい。
良い夢を。
 
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いつまでも弱くあり続けてほしいとか、
守られるべき存在でいてほしいとか、
そういう視線を善意の裏に読み取ってしまうのは、
遅れた反抗期が今更やってきたのか、卑屈になってるだけか。
うーん。うーん。めんどうい。
でも一人でやろうとするのを先回りで塞がれたり、
一人になろうとするところに介入されたりすると、物凄い勢いで腹が立ってしまう。
たとえそれが純粋な善意や心配から出ているのだとしても。
何だろうなこれ。
失敗すらさせてもらえないような気がして信用されてないような気がして。

(以前見た映画「KOTOKO」のラストシーンに猛烈に感動したのは、
 子を世の全てから守ろうとする母親の狂気的な愛情に対して、
 息子が「もう大丈夫。ありがとう」って鮮やかに手を振り、
 それを母親がじんわり安堵と寂しさを感じながら静かに見送るっていう図が
 すごくすごく理想的で綺麗だったからかもしれません)

(反抗期をやり損ねた側としてはあんな鮮やかに手を振ることは出来ない)


えーと。うん。
三日ほど前に父と喧嘩してからまだ微妙にモヤってるらしく、
Twitterでもうまく声が出ないです。
父が母でなくて良かったとつくづく思ってしまうくらいには、未だに父が苦手なのです。


他人から「こうあってくれればいいのに」と願われることは、
物凄く窮屈で、現在を否定されているようで辛くて、
でも多分私も意識的にせよ無意識的にせよ色んな人にそういう感情ぶつけているのです。
  
水面下で小説を書くかたわら、サイト改装を進めています。
基本的なデザインはそのままで、扉ページをとっぱらって、
インデックスから直接コンテンツが見られるデザインにする予定です。
ただ、それだと多分、フレーム表示できない環境だと見られない可能性があるのですが、
流石に、小説サイトだし、大丈夫、だろう…と…。
要望があったら携帯向けの入り口とかも作ったりしたいです。
ブログのテンプレートも、いい機会だしもうちょっとシンプルなのに変えたいですね。


現在進行形でかたこと書いているファンタジーのことも少し。
短編を繋げあわせるタイプの長編になりそうなのですが、
その始まりの一話目も、もうすぐアップできそうです。少なくとも六月中には。
ファンタジーといってもあまり冒険はないんですけども…笑。


(ひとりごと)
小説系サーチとか、もうちょっとマメに登録更新した方が良いのかなぁ。
「小説家になろう」も、登録はしてみたいけど、うーむ、未だ迷っております…。
普段こういうサーチをあんまり利用していないもんで、なおさらアレだ……。
 
 
本日の朗読配信は、砂漠の時間になりました。
文語体によるインド砂漠と、口語体もとい私の自作詩によるエジプト、白砂漠。

砂漠は空虚です。
雲一つない空っぽの空、どこまでも続く砂の海、
本物の海にはまあ波の下にわさわさと命がおりますが、
砂漠の生き物たちは皆どこかに隠れていて、とてもとても静かなのです。

どうぞ、目を閉じた真っ暗闇の中で、お聞きください。





思えば、アニメや小説を通して、小学生の頃から砂漠に憧れていました。
いや、もしかしたらもっと前、「月の沙漠」を聴いたときから。

白砂漠も本当に素晴らしいところでしたが、
機会が作れたら、モロッコからサハラ砂漠を訪れて、
完璧な、完璧な砂の海を、一度、見てみたいなぁと思っています。


EarthTribe.jp モロッコ サハラ砂漠
http://youtu.be/4TjOixI1p10:

 
(この動画を見て、いつか一人旅するんだと願っていたのももう四年前か…。
 大学受験の合間の息抜きに、よく観ていたのです。)
 
 
なんでみんなそっとしておいてくれないんだろう。
旅の話をせがむのだろう。
言葉にしてしまったら、本当の思い出なんて消えてしまって、
旅の話をする自分の声しか、聞こえなくなってしまうじゃないか。


…みたいなことをスナフキンが作中のどこかで言っていた気がするんですが。

私は旅の話をするのが好きです。
まあ、一気に語るのは双方疲れるしあまり良いことないので出来れば避けたいですが、
お茶をしながらゆっくりゆっくり語るのは楽しいことです。
でも肝心なこと、というか、言葉に出来ないことはやはり沢山あって、
詩を書こうが紀行文を書こうが書けないものはやはりある訳で、
それが残っている限りは、何の問題も無いじゃあありませんか。ねえスナフキン。

ねえムーミン、なんて歌うより、ねえスナフキン、って聞きたいことの方が沢山ある。
でも彼は多分、そのほとんどに、答えてくれないだろうなあ





閑話休題。
というか、なんでこんなことを考えていたかのはなし。

昨日、湯船の中で、
これから本当に「日常」の中でやっていけるのかなぁ、
旅行が日常だった時の方が、自由で気楽で寂しさもなくて、良かったなあ、などど
郷愁にくれていたのですが。
そしたら、まあ、わかりやすく、その日の夜に、どこかへ旅に出ようとする夢を見ました。
スーツケースを引きずって、空港を、搭乗口へ向かっているのです。友人と。
でも、辿り着く前に、
私は何故か自分の部屋に舞い戻っていて、荷造りをやり直していました。
ぱんぱんのスーツケースから物を出して出して、
お気に入りのネックレスがカビて駄目になっているのに気づいて悲しくなって、
おしまい。

旅行を日常になんてするもんじゃないなと思いました。
それはいわば、本を読んでいたはずが、
いつの間にか、本の中の登場人物になっていた、ような、
それなのにまた本を読む側に戻ってきてしまったような。
今更、どんな顔をして暮らしていけばいいのか、空虚な寂しさが付き纏います。
人と合ってもあまり埋められない型の寂しさだからなのか、
対人関係、人と関わって生きていくことが、以前よりさらに苦手になった感があります。
正確に言うと、多分自分の傲慢レベルが5ぐらいアップしただけなんですが。
嫌な感じです。
でも、誤魔化し、ごまかし、こんな風に放り投げて、行くしかないんでしょうね。


旅のはなしをすることが好きです。
けれどもともと、はなしをすることは苦手なのです。
面白い物語をねだる子供のように、ぽかんと人の話を聞いている方が好きでした。
自分の話をしても仕方ないと思う悪い癖が付いちゃってるんですかね。
人を信用してないですね。やだなあ。

でも、そろそろ、はなしをする側にもなりたいなぁと、思っているのです。
旅のはなしを切っ掛けに、自分から人にもっと何かを話せるように、なれたら、
いいのになあ。


おしまい。
 
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