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I want to... Dream as if I'll live forever. Live as if I'll die today.
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ので、飛ばし読み推奨というか、全然読まなくても良いと思う。


こんばんは、というか、おはようございます、ですね。
蒸し暑い夜です。全く眠れないのでかたかたとブログを打ちに来ました。
こういう日は支離滅裂で脈絡のないブログになると決まっております。いえい。

外は、少し明るいです。カラスが鳴いてます。
パソコンが熱いです。

小説書きたい書きたい言いながら帰ってきて、
帰ってきてから、ノートパソコンを開き、「うっ」となり、
悶々考え事をしながらメインパソコンを開き、
Twitterになにか書いてみようとしては止め、
なんかもう段々考えることが嫌になってきて、
Wikipediaとか、トリビアまとめブログみたいなのを、
ひたすらに淡々と読み、悶々が冷めるまで読み、結局2時間半も読み、
で、今。
次の朗読で読もうかなぁと思っている中原中也の詩集をぱらぱら読みつつ、
明日もバイトなのに眠れる気がしなくて、げっそりしております。

色んな考え事が脈絡もなく浮かんでは消え、
起きてるのに寝てるような気分でもあるのですが。


一、二年前は、自分の考えをまとめる為に、
「書きながら考える」をこのブログで実際やっていた訳だから、
サイト改装したからって気張らずに、もうちょい、個人的なことも書いちゃおうかなあ。
文学とかことばとか詩とか物語とかについてだけなら、
もっと良い読み物もサイトも、沢山ありますしね。


…あー、バイクの音。
新聞屋さんではない様子。
机のスタンドだけを残して部屋の電気を消しているので、
羽虫が繰り返し電燈に体当たりする音が良く聞こえます。

……いや別に、こういうことが書きたくてブログを開いた訳ではないのであって。

なんですかね。
文学、…と言う度にどうも使い慣れない語を無理やり使ってる苦い感じがするので、
本、…でいいか。
本を読めば読むほどに、
言葉を蓄えれば蓄えるほどに、
現実から離れていくような、生きていきづらくなっているような。

本を書いたのは人。
本に書かれるのは、その人の見た世界。
本を理解しようとするのは、その人を、もしくはその世界を、
ほっとけば固まってしまう自分の中に新しく取り入れ、味わい、
呑み込むかもしくは吐き出すか、
多分そういう行為であって。
評論や文学論は、自分以外の誰かがその本をどのように取り入れたかを、
参考・もしくは反面教師として、新たに眺めることが出来るものであって。
(まあ、少なくとも私にとっては、なんですが)

本を読めば読むほどに、人のことも自分のことも分からなくなります。
それでも本を読むのが好きなのでどうしようもないのですが。
少なくとも、高校の頃に比べ、親しい友人と呼べる人が少しずつ、変わっていき、
私の周りの世界も少しずつ変わっていき、
今は、周りに本を携えている人が多い今はまだしも、
環境が変われば、また私は人付き合いのやり方を見失っているんじゃないかと、
本を通してしか、自分は人と交流を持てなくなってしまいつつあるのではないかと、
若干の恐怖のような、そんな。苦い感じのものが。

本を読めば豊かな想像力が養われるって?
柔軟な思考力と、向上へ向かう批判の力が身につくって?

まあ、確かに、そういう一面はあるけれど、
本や物語や、想像力を、万能薬みたいに言う人は、ちょっと、なんかなぁ。

本を読むしか能のない、
人との付き合い方が分からない――別にこれが悪いって言いたいんじゃない――のに、それをそれと認めず、自分とは違う知恵を持っている人を、自分とは方法が違うからって、見下して、関わろうとしない。
そういう人。
少なくとも私の周りには、いる。何人か。
そして私にも、そういう部分が、確実に、ある。
自分のやっていること、信じているものを、崇高で絶対のものだと無意識に思っている。
私の場合はそれが本と創作にあたる。
そうすれば安心。

ただ、環境が変わってしまったら、どこまでも一人だ。


……ということを、ぼんやりと考えていたのだと思います。
コミュニケーションも人付き合いの能力も、もちろん、万能薬ではない。
少なくとも、今の流行ではありますが。

で。
言うまでもありませんが、私はコミュニケーション能力ってやつがもう、駄目です。
生身の人と、交流する、ってのが、もう、駄目みたい。
いや、好きな人はいっぱいいるけど。会うのが楽しい人もいっぱいいるんだけど。
なんだろうな。
生身の誰かの為に、怒ったり泣いたり、共感したり、する力が、弱くなってきている。
いや、まあ、最近は本を読んで泣いたりも少ないのだけど。
結果として、鈍いし、気遣いが弱いし、会話のリズムを読むのも苦手だ。
愚痴や弱音を進んで聴くことが多いのも、単に、
空ろな状態で聴いているだけなんじゃないかなぁ、私は、多分。
聴いてるだけなら簡単だし、自分が喋らなくても、会話に参加出来るもんね。

誰かの言葉や意見や感情を、出来るだけ自分の中に取り入れたくない、
平穏に受け流したい、自分と、
本を読むときの、誰かの言葉を出来るだけまるごと、呑み込もうとする自分。
なんとも、なんというか、逆転しているというか、本末転倒というか。

誰かに、本気で怒って怒鳴ったことも、
号泣しながら誰かに何かを訴えたことも、
……大学になってからは、少なくとも、無いな。
高校の時は……号泣はちょっとあったか。
…小学校まで遡っても、怒鳴った記憶は、無い、なぁ。
喧嘩は、大体拗ねて無言で睨みつけて終わってた。


人を嫌いになりたくない、っていう感情が、大分この現状を招いている気もするけど。
人が好きってどういう感情だったっけなぁ。
一緒にいて楽しい人、落ち着く人、不快にならない人がそのまま好きな人ってことで言いのかなぁ。
愚痴…というか、自分の弱いところを聴いてほしい人、聴かせたい人、は、
……いる、と思うけど、あまりそうしたくない。
だからTwitterとかブログで垂れ流すことになるんだよな。


人の恋人話を聴いて羨ましいのは、
親密に触れ合える相手がいることでも、
何かあれば頼れる、弱い部分をさらけ出せる相手がいることでも、
幸せや悲しみを共有する相手がいることでも、
なく、
このひとは、特定の誰かと、ちゃんと深く向き合って付き合うことが出来るのだ、ということが、
羨ましい。
多分今の私は、ろくに、恋も喧嘩も、出来ない。と思う。

…ああ、でも、お互いがお互いの一番、っていう相手がいるのは、ちょっと羨ましいかもな。
あと、大切な人を自分でちゃんと見つけて、わかってて、その関係を続けられるところ。
夢、見すぎですかね。


ああー、もう5時かー。
参ったな、明日もバイトだよ…。うう。
とりあえず、今は。バイトして、本を読んで、旅行の計画を少しずつ立てて、書いて書いて、
一日一日が吹っ飛んでいく感じ。
ちょっと、一度、立ち止まりたいなぁ。
…いや、休学してるってだけで、十分立ち止まっているんだけど。
なにやってるんだろうなー、もう。
寝ましょう。
すきっ腹を抱えて、おやすみなさい。
 
良い夢を。
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